東京高等裁判所 昭和41年(行ケ)94号 判決
原告主張の請求原因事実は、すべて当事者間に争いなく、右の事実によれば、本件審決は、引用例に開示された技術内容の認定を誤り、これを前提として本願発明との間に格別の差異はないとの誤つた結論を導いたものであることが明らかであるから、この点において、違法であるとしてその取消を求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。
よつて、原告の本訴請求は、これを認容する。
〔編註〕 本件における当事者の主張は左のとおりである。
第一 当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求は、棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二 請求の原因
原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和三十二年十二月十二、名称を日「人造繊維の湿式紡糸法」とする発明について特許を出願(昭和三二年特許願第三〇九八三号)したところ、昭和三十七年二月二十八日、拒絶査定を受けたので、同年四月五日、これに対する抗告審判を請求し、昭和三七年抗告審判第六二一号事件として審理されたが、昭和四十一年五月六日、「本件抗告審判の請求は、成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は、同年六月二日、原告に送達された。
二 本願発明の要旨
γ価五〇以上のビスコースを凝固再生力の弱い(硫酸三〇g/l以下、硫酸亜鉛〇・五g/l以下、硫酸ソーダ一〇〇g/l以下、温度三〇℃以下の)凝固浴中に安定管を用いて紡糸するに際し、ノズルと第一捲取ローラー間で加えるドラフトを凝固浴の流速が糸条の最高延伸倍率に影響する範囲即ち限界ドラフト以下となし、且つ凝固浴を糸条の移動方向に糸条速度の四〇~一三〇%までの範囲で流動せしめることを特徴とする人造繊維の湿式紡糸法。
三 本件審決理由の要点
本願発明の要旨は前項掲記のとおりと認められるところ、特公昭二七―六六七号公報(以下「引用例」という。)には、高粘度未熟成ビスコースより高重合度人造繊維を製造する方法が記載されており、特に、「ガンマー価として七〇以上、又多量の二硫化炭素を使用するか、或は溶解に当つて二硫化炭素を添加し後硫化を行わしめガンマー価一〇〇以上に上昇せしめることは、本発明の紡糸法を有効に行わしめる。」 (二頁右欄五~一〇行)、「漏斗を使用する流下延伸紡糸法が採用される。」(同頁同欄三一~三二行)、「第一浴に硫酸濃度一%以下、二価以上の金属の硫酸塩〇・一%以下にして硫酸曹達を全く含有しないか、或は高くとも一%以下なる浴を使用し、二〇~三〇℃の常温浴をもつて凝固せしめ」(同頁同欄三四~三八行)および「浴の流速を紡糸口金の出口においてはビスコースの紡糸孔を射出する流速と等しくするか或はこれより稍大とする。」(三頁右欄二六~二八行)等の記載より勘案するに、本願発明のビスコースの熟成度、凝固浴の組成および凝固浴の流速は、引用例のそれらとなんら異なるところがない。さらに、本願発明におけるノズルと第一捲取ローラー間で加えるドラフトを凝固浴の流速が糸条の最高延伸倍率に影響する範囲、すなわち限界ドラフト以下とする点について、引用例には限界ドラフトという表現は認められないが、紡糸口と第一ゴデツト間の漏斗中において比較的緩漫な緩延伸を行い、漏斗中の延伸を一定限度にとどめ、第二浴の再生浴で一・五~三倍に緊張を行つており、このことはノズルと第一捲取ロールとの間のドラフトを小とし、第二浴で延伸するという本願発明と思想的に軌を一にするものと認められるばかりでなく、第二浴中での延伸について、本願発明は、二・五ないし三・七の最高延伸倍率を示し、一方、引用例においても、一・五ないし三倍の緊張を行いうるものである以上、第一浴での延伸に両者間に格別の差異があるものとは認められない。したがつて、本願発明は、引用例に容易に実施しうる程度に記載されたものと認められるので、旧特許法(大正十年法律第九十六号。以下同じ。)第四条第二号の規定によつて、同法第一条の特許要件を具備するものと認めることができない。
四 本件審決を取り消すべき事由
本願発明の要旨および引用例の記載内容が本件審決の認定のとおりであることは争わないが、本件審決は、引用例に開示された技術内容の認定を誤り、これを前提として本願発明との間に格別の差異はないとの誤つた結論を導いたものであり、違法である。すなわち、引用例のものには、本願発明の構成要件である「ノズルと第一捲取ローラー間で加えるドラフトを限界ドラフト以下とする」点および「凝固浴を糸条の移動方向に糸条速度の四〇~一三〇%までの範囲で流動せしめる」点は、開示されていないのであるから、両者間に格別の差異はないとしたのは誤りである。これを詳述するに、
(一) ビスコースが紡糸孔を出て糸条となり、第一ゴデツト(第一捲取ローラー)に捲き取られるまでの延伸の度合、換言すれば、ビスコースの紡糸孔射出速度と第一捲取ローラーの捲取速度との比を「ドラフト」と呼ぶのであるが、引用例のいう「比較的緩漫な緩延伸」とは、決してこのドラフトの値が小であることを意味するものではない。引用例中にドラフトという表現が全く示されていないのは、引用例記載の流下延伸紡糸法では、このような意味のドラフトをどのように規制するかという点について全く考慮が払われていないからに他ならない。これに対して、本願発明においては、ドラフトを限界ドラフト以下、すなわち、三以下とすることを発明構成の要件の一つとしているのである。
なお、引用例記載の流下延伸紡糸法には、第一浴中のドラフトをどのように規制するかについて全く考慮が払われていないから、引用例に示された実施例について実際のドラフトを算出することは、本来意味のないことであるが、かりに引用例の第一図および第二図を手がかりとして、グラフBに従つて、そのドラフトを推算すると、第一図のドラフトは三五・四であり、また、第二図のドラフトも二二・二五であり、さらに、漏斗を用いる流下延伸方式の実施例2のドラフトは、二五・八である。以上のように、引用例記載のドラフトは、本願発明の限界ドラフトを遙かに上回るものである。
(二) 本願発明は、凝固浴の流速を糸条速度の四〇ないし一三〇%の範囲とすることを要件としているので、引用例における凝固浴の流速と糸条速度との関係を検討すると、引用例には、「これらの場合、浴の流速を紡糸口金の出口においてはビスコースの紡糸孔を射出する流速と等しくするか或はこれより稍大とする。」と記載されているのみであつて、第一ゴデツト(第一捲取ローラー)における糸条の紡糸速度(捲取速度)と漏斗中における浴の流速との関係については、なんらの記載も見当たらない。 なお、この場合にも、引用例の第一図および第二図を手がかりとして右の関係を推算すると、浴の流速の最も大である漏斗出口を基準にしたとしても、第一図における浴の流速の糸条速度に対する割合は、一一・三~一三・五五%であり、また、第二図における浴の流速の糸条速度に対する割合も、一八~二二・四五%であり、引用例は、凝固浴の流速と糸条速度との関係を如何に規制するかについて、なんらの考慮をも払つていないのみならず、その実施例を採り上げて検討した結果も、本願発明の要件と全く異なる条件が用いられているのである。
第三 被告の答弁
被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁として、原告の主張事実は、すべて認めると述べた。